年賀状の思い出あれこれ
初めて年賀状を出したのはいつの事だったでしょうか、はっきりとは憶えていませんが、恐らく、幼稚園の頃、4歳上の従兄弟に出したのではないか、と思います。まだ字が書けないので絵を書いて親に宛名を書いてもらったのだと思います。
小学生になるとクラスの友達に出すようになります。当時は連絡網とか学級名簿が配られていたので宛名は苦労なく調べられました。
鉛筆で絵の下書きをして、サインペンで清書、その後色鉛筆で塗ったりしました。完成しても何か空白が多いような気がして隙間に独楽や凧、膨らんだお餅など正月っぽい絵を足したりするので1枚仕上げるのに随分時間がかかりました。そんなに苦労して出した相手からシンプルに「あけましておめでとう!」だけの年賀状が来るとちょっと落胆しました。
3年生と4年生の時、クラスにちょっと気になる女の子がいて「みんなに出した中の1枚」って感じのさりげなさを装った年賀状を出したのも良い思い出です。
中学校では美術部に入っていたので年賀状には気合が入りました。その頃からコピーという強い味方が現れたのでイラストのアウトラインの線画部分だけはコピーして、色だけは1枚1枚塗りました。それでもかなりの労力でした。
友人はとうとう元旦に間に合わずに正月に1枚1枚配って歩いたそうです。家の人に郵便屋さんと間違われた、と言っていました。
年賀状事情が激変したのはやはりパソコンが普及してからでしょう。まだデジカメは一般的ではなかったので紙焼きの写真をスキャナーで読み込み、スキャナーに付属のかなり低機能な画像ソフトで文字を書きました。そしてそれを出力するのがこれまた当時のプリンターなので何となくぼんやりした出来上がりでした。でもそれがソフトフォーカス的効果を醸し出してなんとも言えない雰囲気に仕上がりました。
裏の宛名も仕事で使っていたデータベースソフトを使ってグループ毎に一括出力できるようにしました。今では安価で使いやすい宛名書きソフトがありますが、当時は結構苦労しました。そのおかげで年賀状作成の時間は一気に短縮されました。
でもそうしてツールが発達するに連れ、年賀状作成に取り掛かるタイミングはどんどん遅くなり、ついにはクリスマス後に、ある年は仕事納が終わってから、なんてこともありました。それを可能にする技術を、今年は完成度向上に向けようと努力し、送り先によって3種類作るなどかなり気合を入れました。今から年明けのみんなの反応が楽しみです。